きょうの出来事

「川上さん、きいてください!◯◯さんが、今日の盛付けすっごく上手だったんですよ」と職員がうれしさ満点で話かけてきた。
「へええ、すごいね〜。何をもりつけたの?」と近くにいるその利用者にたずねると「ポテト!」とハニカミながら教えてくれた。

話によると、ぶきっちょな手先のため、盛付けの場面では、いつもまばらになったり、はみ出したりすることも多いらしいのです。今日は何かが違っていたのか、何か工夫をしたのか聞いてみましたが、これだという理由はわかりませんでした。でも、集中して取り組める状況にあったことは間違いないと思うのです。利用者自身がなにかを意識したのか、それとも盛付けをしやすいようなセッティングがあったのかもしれません。



また別の利用者は、いつも書いているお仕事日記に△をつけられていました。
スケジュールにそって作業はきちんとこなしているのに、なぜ?
そもそも自己評価としての◯、△、×を書くというより、どちらかというと「こなした」という意味合い◯を書いていることがおおい日誌。

誰からも何も言われず、自分で△を記入すること自体、前例がないためおどろきました。
振り返ってみると若干の調子の悪さはあったようにも思えます。それを思ってのことなのでしょうか?真相はわかりません。
客観的な評価として、作業自体はきちんとできているよと伝えたくて、今回はあえて△の上に◯を書き、「よくできたよ。◯だよ」と修正をしました。これでよかったのかはわかりません。
でも、その後の本人の動きをみると、なにかいつもよりしっかり仕事をしようという気持ちがあるような動きがみえたように思えます(私の主観ですが)


二人とも、言葉で「自分がこんなことを思って(考えて)行動した」と説明してくれるわけではありません。ふだんの関わりの中から、彼らは何を思ったのだろうと考えてみたり、
ひょっとしたらこうかもしれない、とか、これがきっかけになった、とか、こんな風にすればよくなるといった推察をしていく必要があるなあ・・・。
今日のふたりのできごとを通して、感じたのです。
川上